見栄と自信は成長に必要か?【後編】

※この記事は2回連載記事の第2回です。前編はこちらから。



3.私は“大人”になってしまっていいのか



あれから学部で留学して、自信という自信を粉々に打ち砕かれて、そこからまたイチから創り上げた自信は帰国後ニョキニョキと成長し続け、程よいタイミングで二回目となった大学院留学によってもう一度木っ端微塵に打ち砕かれた。

今の私は、だいぶ見栄を張ることから解脱したと思う。


不安なことは「不安だ」と周囲にあっけからんと打ち明けるし、相手を問わず助言を求めることもする。自分を賢く見せるためだけの、不用意な発言はできるだけしない。

誰かと対話している自分を、もう一人の自分がメタ的に監視していて、いつだってダサい虚栄心の影に目を光らせている。


先日、冒頭の私塾とはまた別の私塾で出会った友人たちに、就活の不安を打ち明けていた時の事。そのうちの一人に


「もっと自信持ちましょうよ!」


と言われて、文字通りハッとした。

それは、宇宙一の見栄っ張りで自信家をやってきた私が、今までほとんど誰にも言われたことのない言葉だった。


見栄を張らずに等身大でいることは、今では子どもの時の本来の場所に戻ってきたようで、居心地が良いとすら感じる。

一方で、見栄を張らずに弱いところを全部さらけ出しながら生きていると、自分が自分に課すハードルはどんどん下がっていく気がしてならない。

意図せずとも、周りに対して謙虚に振る舞うことは、自分の成敗に保険をかけることにも繋がる。

それに対して、あの時の自分は、自信たっぷりでいる分、失敗は許されなかった。

見栄を張って自分を大きく見せる分、現実の自分もそれに追いつこうと無我夢中だった。

自信があるように振る舞うことは、自分の退路を閉ざすことでもあった。


そして何より、背伸びばっかりしてたあの時、最初はただの見栄だったモノが、そのために必死に努力したおかげで、少しくらいはホンモノになってハリボテじゃない実のある自信へと変わっていった。

今の自分に、子ども時代に比べてほんの少しでも自信があるとすれば、それはハタチの頃に必死で見栄張って背伸びして生きてた、ダサくて青い自分のおかげである。

自分を大きく見せない人は確かに魅力的で、自分を大きく見せる人は確かに青くてかったるくてダサいけど、でも、そのダサさは成長し続けるためには必要なのかもしれない。私は、「大人になった」と言われて内心喜んでいたわけだけれど、等身大の自分に自信やそれを裏打ちする実績があるわけでもない今、本当に“大人”になんかなっていいのだろうか。まだまだ、大人になっている場合じゃない気がする。

だって見栄張らない人がカッコいいのは、見栄張らなくても十分な実績と自信があるからなのだ。そんなご身分じゃない自分は、まだまだ見栄張ってギラギラして背伸びして、一分一秒、ちょっとでも前に進むべきなんじゃないかとも思うのだ。


ある人にこんな話をしていたところ、「自信って揺り戻しじゃないかなぁ。」と言っていた。確かにそうだと思った。

好景気が続けばある一点で頭打ちして揺り戻される景気の波のように、自信がつきすぎて次のステージに進んだ頃に井の中の蛙であったことを知って落ち込んで、地に落ちた自信を取り戻すためにまたがむしゃらに走って、それが新しい自信を生み出す糧となる。

だから自信がない時や落ち込んでいるとき、ちょっとくらいダサくったって見栄張ったっていいし、むしろ張るべきだと私は思う。

来年から新社会人になった私が、また昔みたいにギラギラして見栄張ってたら、そのときは温かい目で見守ってやってほしい。


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