軍艦島は日本の未来を象徴しているのかもしれない。【前編】

先日、軍艦島に上陸した。

足を踏み入れるまでは「B'zのPVのロケ地だ!」とか「カッコいい!」としか思ってなかった軍艦島。

しかし実際に訪れてみて、そのイメージは崩れ去った。

そして6年前に世界中に衝撃を与えた’’あの場所''を思い出したー


軍艦島への行き方

軍艦島への上陸は誰でも簡単にできる。ツアーでの形式での上陸となっており、ツアー会社4社のうちから乗船時間や料金を考慮して好きなものを選ぶだけだ。私は『シーマン商会』のツアーを利用した。土日祝は満席になるおそれもあるので早めに予約しておくのが無難だろう。


外観

長崎の港を出港して40分。

軍艦島が姿を現した。テレビで何度も目にしてきたが、実際に目にするとその佇まいに圧倒される。


入口

船着場から島に上陸し、舗装された道を進んでいく。

老朽化が激しいため、立入れるエリアは限定的だ。


灯台

写真左奥に見える白い建物が灯台だ。軍艦島は沖合に浮かんでいるため、台風の時は波のしぶきが30mを超えたとか。灯台が写真手前側の土地の防波堤の役割をしていたそう。


端島小中学校

正面に見える横長の建物。これは小学校と中学校の校舎だそうだ。

この小さな島に最盛期で700人もの生徒がいたというから驚きだ。

当時の軍艦島の人口密度は世界一だったとか…。


30・31号棟

こちらは日本で最初の鉄筋コンクリート造の高層アパートだそう。老朽化が進んでおり、いつ倒壊してもおかしくないとのことなので、早めに訪れるべきだ。


軍艦島は当時の日本の最先端をいっていたといっても過言ではなく、人口密度や建築技術の他にも、日本屈指の家電普及率を誇ったそう。


そんな豊かな暮らしを支えたのは過酷な炭鉱での労働だ。


写真右手に鉄の足組があるのがわかるだろうか?この階段を上った先にある四角い建物は作業場へ降るためのエレベーターだそうだ。

作業場のある地下600mまでをスカイツリーのエレベーターと同じスピードで降りていったというから驚きだ。しかもドアは付いていない。御察しの通り昇降中に気絶する者もいたとか。考えるだけでもゾッとする。炭鉱内ではガス爆発が起こるリスクもあり、勤務されていた方は毎回生きた心地がしなかっただろう。


このように先進的で豊かな暮らしは常に死と隣り合わせだったのだ。


閉山へ

戦後のエネルギー革命で石炭の需要は減り、炭鉱は閉山となり島民はやむを得ず島を出ていくことになった。

それからわずか40年でこんな姿になってしまうものなのだろうか。この島に人が住んでいたのは何百年も前の出来事だったんじゃないかと目を疑うくらいだ。

その時、私の頭の中で軍艦島とある地域が重なった。

そう、それは原発事故の被災地域だ。

私は3年前、原発の半径3キロ圏内まで足を踏み入れていたのだ。

(後編に続く)


0コメント

  • 1000 / 1000

20代の僕らが考えるキャリアサロン

ITメガベンチャー社員、IT企業内定者、地方就活生、国連志望の就活生、留学志望大学生。それぞれがキャリアについて語ります。==皆さんからの質問募集中!ブログのコメント欄まで!== Twitter→@dare10su1sse1